怪我してから前の自分に戻るまで3年はかかったよ。 6/3(Wed)
怪我をしてからの悩み。
私にとってかなり苦しい時期を過ごしたのは
クラブに加入して3年目の年でした。
この年は初めて抱えきれない様な問題たちが
自分の中に現れてきて、毎日の様に泣いていたし
サッカーを辞めたいとずっと考えていました。
でも辞められなかったのはそこでやり切ることが
次のステップに繋がるかもしれないとゆう希望があったからでした。
仲の良かった真帆や晴香が移籍をしてしまって、ずっと3人で頑張ってきたのにその時は
どうしようもない寂しさがあったし
何かあっても誰にどう話していいかわからなかったりして、孤独を感じてる時期でもありました。
プレシーズンのトレーニングが始まって数ヶ月で
太ももの肉離れを起こしてしまい、走ることすら
痛みでできなくて、それからトレーナーと
プレーが出来るのか出来ないのかで
かなりごちゃごちゃして
ただ練習がしたくない奴みたいになってしまい
完全に監督からもチームメイトからも信頼うんぬん
試合に関わるなんてもってのほかだった。
人の痛みなんて人が分かるわけない。
身体の痛みも。心の痛みも。
でも誰かにわかって欲しかった。
痛みのメーターがあればみんなに伝わるし、
練習を休んでいる自分にも自信を失うことなくリハビリに専念できる。
肉離れから復帰、また再発、また復帰の繰り返し
その度に痛みを誰かに理解してもらえることはなかったし、どんどんみんなに置いていかれる自分がいて、リハビリを繰り返しチームに合流しても自信ばかりを失っていく。
この時期のチームメイトは22人以上いた為、ゲームになると私は当たり前の様にサブのサブ。
みんながサッカーしていても私はグランドの外を
陸上選手のようにただボールを使わずに走るだけだった。
みんながセットプレーの練習をしているとき、サブのサブはトレーナーと別メニュー。
その時も私はぎっくり腰で動けなくなった。
情けなかった。
でもそれが現実だった。
またリハビリ。
この時期は身も心も正直限界で、誰かに助けて欲しいのに誰にも声をかけられない。
とにかく辛かった。
何度も怪我を繰り返した私が最後に自分を守りながらプレーをする為には100%でプレーしないことしかなかった。
90%でしかプレーできない。
いつも自分が自分をコントロールできる範囲でプレーする。絶対に感情に流されない。
常に冷静に、無理しすぎない。
そうすることしかまずは怪我をせずに当たり前に
みんなと同じ様に練習をする時間を作れなかった。
でもきっとこんな気持ち誰かに話したら
辞めてしまえと言われるかもしれない。
トップのチームでやる事じゃない。
でもそれしかその時には方法がなかった。
私は試合に関われなくてもいいから
とにかく怪我をすることを恐れた。
それが頭にある以上120%を出すなんて到底できなかったし、私はいつも自分に自信がなかった。
私がボールを触れば失う。
自信のあったスピードさえも負けてしまう。
あの時の私には何もなかった。
サッカーは二度と同じシーンはこない。
でも似たシーンはたくさんある。
このシーンだったらこう。
次のタッチをこうできれば上手くいく。
次はここにパスを出そう。
いつも次を考えているはずなのに遅い。
イメージが湧いてこない。
動きも判断も全部遅くて、
私がボールを持つといつも取られてしまう。
ドリブルなんてすることほど怖いことはなかった。
ボールを持つのが怖かった。
だから私は1タッチプレーばかりして
呼ばれればパスを繰り返し、
つまらないプレーばっかりしていた。
でもそれがその時の精一杯だった。
自分の元にボールが来ると、上手くいかないことを想像してしまう。
それ通りになっていく。
だからいつも味方のパスコースから隠れていた。
皇后杯の決勝を迎えたチーム練習最後の日、
ただ走ることが辛くても、苦しくても私は今までその場では絶対に泣かなかった。
でも涙を堪えることができなかった。
私は走ることしかさせてもらえなかった。
最後の日くらいサッカーをさせて欲しいと心から思ったし、なんで私はみんなと同じ様にプレーさせてもらえないのか。
なんで私はリハビリばかりの人生なのか。
走ってばかりなのか。
考えるのもバカバカしかった。
サッカーが下手なやつはプレーすることすら
許されないのかと皮肉にもそう感じていた。
ゲームを楽しむみんなを横目に泣きながら走った。
チーム活動が終わり、私は3部のチームへの移籍を決めた。2つもカテゴリーを下げての挑戦。
私は自分に自信がなかった。
自分の力が分からなかった。
なでしこリーグで試合に出たことがなかったから。
この3年間練習だけをしてきた。
試合と練習は違う。
自分の力がどこまでなのか、私は強いチームよりも自分が自信を取り戻せるチームを選んだ。
順風満帆じゃないけど3年間の経験は本当に大きくて、代表に選ばれる様な選手たちと一緒にプレーできたことや話せたことがなによりも大きなものだった。
もっと話したり、もっと分からないことを聞きたかったなと今では思うけど、あの時の自分は自分の中の自分を守るのに精一杯で、他人に助けてもらおうとか、誰かに力を借りようとかそんなの無くて、
誰にも私の気持ちなんて分からない。
誰も理解してくれない。
私以外の誰かに私のことなんて分かるわけない。
常に否定的で、心の中は反抗的だった。
それでも助けようと声をかけてくれる人はいて
私は今でもその人の言葉を忘れてない。
記憶力が良い方ではないけど。
それだけあの時の私には助けになる言葉たちをくれた人がいた。
経験の違いが言葉の重さを生む。
その人は自分がしんどくても他人を想いやれる人だった。
プレーでいつも見せてくれる人だった。
いつかまた一緒にプレーしたいと願っていたけど
私は私の道を見つけて今走り出してるし
今の自分は胸を張って生きられる。
胸を張ってプレーできる。
辛い経験が成長させてくれる。
大切なことだと思うけど、暗いトンネルは数メートルくらいで簡単に抜けられるくらいがいいな。
久しぶりの更新となってしまいました。
同じ怪我をした様な選手や、今リハビリ中の選手
え。分かる。ほんとそうって思う人に届けばいいなと思います。
絶対抜け出せるから、抜け出したら楽しみしか待ってない。
そう昔の自分に伝えたいです。
また更新します😊👍
Thank you for reading my blog
See you next time 🐷Rina